活動報告

駒ヶ根の明日を語る会

市民主導の街づくり

第5回11月26日(火)18時~20時

駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール)

都岐沙羅(つきさら)パートナーズセンター」(新潟県村上市) 大滝聡理事

 「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は「住民主導の街づくり」をテーマに地域づくり連続講座第5回を11月26日、駒ケ根駅前のアルパ3階多目的ホールで開きました。ゲストに、第7回地域再生大賞で大賞に輝いた「都岐沙羅(つきさら)パートナーズセンター」(新潟県村上市)の大滝聡理事が登場。行政頼みではなく、住民が自ら考え積極的に取り組んでいくことが必要と指摘。さまざまな実例を踏まえながら、地域社会の多くのプレーヤーが参加して幅広い活動を進めていくことの重要さを訴えました。

 

街づくりの成功のカギは理念を固めること
☆大滝聡・都岐沙羅パートナーズセンター理事(新潟県村上市)

参加者はグループに分かれて、大滝さんが投げかけたテーマを話し合った(11月26日アルパ)

ちょっと堅い話からさせてもらおうかと思います。公務の意味を正しく理解しようということです。私の思う街づくりのイメージのお話をしますので、皆さんと若干違ってくるかもしれません。
「私」という漢字は、禾(のぎ)へんがありますね。これをカタカナの「ム」のような字で抱えています。ムは腕の形です。禾へんは穀物など私有財産のことで、財産を腕で抱え込んだ姿を「私」というんだそうです。それに対して「公」は下に「ム」みたいな字がありますよね。抱え込んだ腕を八の字型に受け放つ、そういう姿です。ただ、漢字が大陸から渡ってきた時、日本人がこの字を残念ながら「おおやけ」と読んでしまうわけです。これが間違いということを僕は本で読みましたが、中国で「おおやけ」というと、大きな家とか大きなお宅の「宅」って書く方が多いそうです。天皇のような地域を総括する権力者のことです。それに公という字をあてはめちゃったんです。
参加者はグループに分かれて、大滝さんが投げかけたテーマを話し合った(11月26日アルパ)
公とつくものは強制が支配しています。支配するという言い方は大げさかもしれないけれど、そういう風に使っているわけです。例えば、市長の公用車というでしょ。公用車という言葉は英語にないので、外国人は誰でも自由に乗れる車のことだと思います。要するに公用車とは官用車です。公と官の意味がぐしゃぐしゃで、そこが間違いだと思っています。だから、官イコール公なのです。ど真ん中に行政がいないと、成り立たない仕組みです。

 

▽「公」と「官」を切り離して考えよう

 

民間人は税金を行政に納めて市民サービスを行政から得る形になるわけですけど、これだけ社会が高度化すると、行政が全てのサービスを担えないわけです。公園でけがをすると、行政の責任というが、それはおかしいということに気がつかなくてはいけない。都岐沙羅パートナーズセンターで考えた答えですが、これからは官と公を切り離して考えようということです。官は一つのセクターだと思っていただいた方がいいと思います。住民とかNPO、企業といったものと同じレベルで、行政をとらえた方がいいと思います。
じゃあ、公は何かということですが、共有財産だと思っています。住民は住民で様々な財産を持っていて、NPOも企業も持っています。人材や経験、情報、体力、場所、資金、ネットワーク、いろんなものがありますが、みんなで使ってもOKというものをテーブルの真ん中に出す。それが公だと思います。住民が出した体力を企業が使ってもいい、企業が出した知恵をNPOが使ってもいいんです。NPOが出したネットワークを行政が使ってもいいと思います。誰でも自由に使えるものがいっぱいあると暮らしやすくなります。分かりやすく言うと、銀行の駐車場は銀行のプライベートなもので、土曜、日曜に閉店するとチェーンで入らないようにしますよね。それでは、いつまでたってもプライベートはプライベートです。土日は店が閉まっているので開放すると、公、パブリックな空間に生まれ変わります。こういうものが、街の中にいろいろあると、とても暮らしやすくなります。公は誰でも使える共有財産であり、みんなでつくり育てるものと考えることが大切だと思います。

街づくりについて話す大滝聡・都岐沙羅 パートナーズセンター理事 (11月26日、アルパ

今度は、ざっくりした、地域経済のしくみです。戦前くらいのイメージで考えてみますと、自給自足の活動が地域にしっかりあって、地域で生産されたものは地域で消費できていたんですね。それを支えていたのが地域内の活動です。農業だったら、結いとか講とかがありますけれども、そういう助け合いですね。そのほかに市場経済で動く活動があった、山の集落の人が、海の魚を食べたいといっても、なかなか食べられない、分けてもらわないといけないので、わずかでも市場経済があったわけです。ただ、基本的には貨幣に頼らない社会構造だったわけです。現在どうなったかというと、市場経済で動く活動が画面からはみ出すくらい大きくなってしまって、自給自足の活動が減っていく。なぜかというと、お金が入るから。市場経済は幹線道路を見るとよく分かりますよね。今日、6時間くらいクルマで走ってきても、日本の幹線道路の風景はほとんど変わらないですね。大型店舗があったり、外食産業があったり。市場経済に毒されている、日本の姿だと思います。自給自足が小さくなると、助け合いの必要がなくなるんです。

何でもお金で解決できるようになると、地域の力みたいなものが市場経済に吸い取られてしまったと考えてもいいと思います。家族や地域で担っていた機能を行政サービスに外部委託するようになった。これは依存社会です。例えば、防犯は警察に任せればいいとか、子どもの教育は学校に任せればいいとか、街づくりはみんな行政に任せればいい、そういう世界になってしまったわけです。

 

▽地域の茶の間とパブ

 

だから、これからの社会としては自給自足の活動と市場経済で動く活動とのバランスの問題ですよね。市場経済で取られていた力を取り戻す、自給自足の活動をもっと増やしていかないと、コミュニティーも崩壊していくわけです。街を、もともと持っている公有制のある姿に戻していくことが街づくりの原点だと思っています。お手本は沖縄の共同店だと思っています。明治2年からできたんです。昔は、やんばる船という大型商人が物資を積んで商売をするわけです。この人たちは結構、市場経済の典型的な例なんですね。対抗して地域が始めたのが共同店です。昔は200店以上あったと思うんですが、今も60店以上経営されていると思います。ポイントは共同出資、共同経営です。村よりも小さな区ごとに運営され、売り上げは地域へ還元される仕組みです。農協と生協、森林組合、漁業組合を合わせたようなお店だと思っていただいていいと思います。沖縄に行ったら、行ってみるといいと思います。利益は何に使われているかというと、一番最初の頃は住民の足となるバスの運行や奨学金、病気災害などの見舞金、助成事業をするんです。共同店舗によって違いますが、集落維持のために使われることは共通しています。災害時にも威力を発揮している。共同店は集落の共有財産です。公の姿、形を見せろと言われたら、僕は大体これをイメージします。
共同店の店長は選挙で選んでいるんです。村の組長選挙より店長選挙が格上です。店長に誰が就くかが村の人たちの最大の関心事なんです。青年団の人たちが、選管の役目をしています。候補者が一人ずつ出て話をし、投票へ進むんです。びっくりしたのは、不在者投票までやっているんです。似たものはイギリスやアイルランドにもありました。だいぶ古い時代からあったと思いますが、パブと言われるものです。パブというと水商売ですよね。飲み屋さんというイメージが多いと思うんですけど、パブはパブリックの略です。パブリックハウスを直訳すると、みんなの家です。共同店です。今は大規模なビアホールみたいな所が多いですけど、元々は家庭の一室を開放していました。職場から帰ってきた近所の人たちが集まって、お茶飲み話をする。私が得意なことを、あなたにしてあげられるという関係なんです。トースターが壊れたんだけど直してくれないといわれ、直してくれる。そんな風です。小さな困りごとが、こういう所で解決していくんです。こういう仕組みが大事です。こういうものを探しますといった地域情報も貼られています。これがパブの発祥です。
似ているのが地域の茶の間です。地域の茶の間って、こちらにもありますか。新潟県初のNPOで、全国で3000か所以上あります。誰でも自由に集まれる、パブみたいなものです。、高齢者が集ってわいわいやってるというイメージが多いのですが、カギっ子の子どもたちや悩めるお母さんたち、誰が来ても自由に自分の家の茶の間のようにしていられる場所なんですね。こんな風に地域は家庭の役割を担っていかなくてはならない。昔は三世帯、四世帯が当たり前に暮らしてたわけですよね。核家族化していくと、子どもさんの悩みは、お父さんお母さんでは答えられないんです。家庭内で問題が解決しないんです。食文化も昔は、大規模な家族で大皿がありました。料理は一人用の小皿で作るより、たくさん作った方がおいしいわけですよ。そういうのが日本文化なんです。小分けになって、家に帰ったら、みんな自分の部屋に入ってしまう、茶の間の意味がほとんどないという状況なんです。これからは地域の中で、ここを茶の間やゲストハウス、コミュニティーレストランにしようという動きが出ています。地域が一つの家みたいな感覚でいるというのが大事だと思います。
地域の力を見直す。ちょっと固そうですが、経済をかじった方はピンと来ると思います。上半分をいわゆる経済社会、企業社会って言った方がいいかもしれませんが、下半分を地域社会とします。子どもが産まれて15歳になると、下から上に行くわけです。15歳は義務教育が終わる年で、生産年齢に達するわけです。65歳、70歳かもしれませんが、定年になると地域に帰ってくるわけです。日本経済は、政府もそうですけど、経済社会を何とかしようと思っているわけです。けれども、ここだけの人で全部を養うのは無理だという状況に気づかないといけないんですが、上半分(経済社会)はいわば人生の花形であり、下半分(地域社会)は負け組だったんです。そういう感覚です。地方の人が早く東京に行きたいというような感覚です。でも(地域社会に)いる人たちの力をもっと信用していこうよというのが、必要かなと思っています。おばあさんが18歳で嫁に来て、80歳まで料理を作り続けているとしたら、一食当たりいくらで計算するかということはしてなかったじゃないですか。このおばあさんの価値を考えてなかったんです。私たちはこういう人たちのおかげで、仕事ができてるんです。だから、こういう活動をちゃんと評価してあげると、これ自体が社会資本になっていくんだろうと思います。

 

▽現状から始める街づくりは成功しない

 

いろんな街に呼ばれて、街づくりがうまくいかない共通の原因に気づきました。一つは理念がないことです。理念は何ですかときかれて、ほとんどの人が答えられないんです。こういう街では。それから、もう一つは依存体質になっている。行政や補助金に頼りきりで、自立した活動をしようとしていない。みんな行政がやるもんだと思っている。三つ目は未来の姿が見えていない。あるいは共有されてない。こういう共通点があると思います。
理念の話をさせていただきたいと思います。つい2週間くらい前、福島県で行った時のワークショップです。関係者全員がこうしたいという思いを出し合い、統合していく作業が必要になるわけですが、その時、私が投げかけたのは、この街をどんな街にしたいですかって聞いたんです。30人くらいでしたが、80歳代半ばくらいのおばあさんが「ヤギ飼いたい」「山を歩きたい」「ニワトリを飼いたい」「犬を飼いたい」と書きました。問いと外れているように思うじゃないですか。そのグループに高校生がいて、おばあさんが書いたんですが、どうまとめたらいいですかと聞いてきました。それで、私がおばあさんから話を聞きました。昔、ヤギやニワトリ、犬を飼っていたというので、そうか、昔のような生活を取り戻したいということですかといったら、笑顔になって「そうそう。そうなのよ」という話になりました。で、すかさず高校生が、昔のような生活を楽しく取り戻したいと書きました。こうなると、理念データになるわけです。ヤギを飼いたいだけでは理念データにはならない。間に入る人は、こういうことをするんです。そうしないと「ヤギを飼いたい」が理念につながらないんです。
理念を作る三つの意味を考えました。何のために事業を行うかを明確にし、困難に陥った時にいつでも立ち戻ることができるというのが一つ。先がどこに行くのかが見えていれば、この道がダメでも、こう沿って行けばというのが分かる。行き先が分からない状況だと路頭に迷うんです。二つ目は事業に携わる人が自律的に行動でき、強い組織を作ることができます。理念に沿った形で判断できるので、必然と組織自体が強くなります。三つ目は、社会全体に事業の価値を伝えることで、信頼を得ることができます。理念では飯を食えないという人がいますけど、理念で飯を食わなきゃダメなんです。理念を掲げているから、お金も人も集まる。そういう状況にしないといけないんです。それが都岐沙羅パートナーズセンターの理念です。こうした理念づくりには1年近くかかりました。
もう一つやっている、NPO法人街づくり学校というのがあります。今年20周年になるりますが、キャッチフレーズは「街をつくる人をつくる」。街をつくるで切って、人をつくるでもいいんですけど、どちらかというと、街をつくる人をつくるです。考えるには技術が必要です。ぼーっと考えているのは、考えているうちに入りません。システマチックにやらなきゃいけない、最初は理念づくりです。どっちに向かうのかを先に決めないといけないんです。街づくりは、みんな現状から始めるんです。現状の悪いところはどこかという話から始めるのではうまくいかない。未来の視点から現状を見るのが大事です。現状には気になる現状とちょっと好ましい現状と二つありますが、好ましい現状を伸ばして可能になる未来と、気になる現状をほったらかしにしておく未来との両極の未来が描けるんです。では、何年後かと言われるんですけど、だいたい、想像ができる程度の未来ですので、僕は、3年とか5年後の未来のイメージで、いつも考えています。この視点で、このギャップを感じていただくのが大事だと思います。放っておくと、こうなっちゃう、駒ケ根って5年経ったらこうなっちゃうねっていう姿が、皆さんの中にあるかどうか。5年みんな頑張るから、これくらいのことは出来るねっていう姿が描かれているかどうかが重要です。どうしても下がってしまう要因があるはずですが、それを探すのはこの次です。それが分かれば、初めて方針と対策を打ち立てて、手順を考えて完成というシナリオです。
これまでとこれからの街づくりの簡単な歴史をつくってきました。一番最初は街づくりなんて言葉は無かったんですが、70年代後半くらいから兆しが出ていると思います。公害やマンション開発などで住民運動が高まって来た頃です。そこから都市計画に住民参加が始まる。80年代後半くらいからだと思います。この頃、街づくりという言葉が出てくるんですけど、この頃の街づくりは100%都市計画です。30代、40代くらいの男性が集まって、地図を広げて、ここを何色にしましょうかという感じでやっていたというのがこの頃のイメージです。行政の事業に住民が参加させてもらったということです。住民参加がなぜ広がったかというと、ワークショップの手法が入ってきたからです。その後、住民主体の街づくりが盛んになってきます。90年代後半くらいです。この頃、NPO法人が誕生するんです。1998年に特定非営利活動法が成立し、一斉に法人化して活動するようになり、平和な街づくりが増えるわけです。観光や福祉のまちづくりが盛んになっていきます。いわゆる自立性が問われて住民事業へと移行していくのが、2000年くらいからです。
この辺りの街づくりは、まだボランティアの世界で、ほとんど利益を生まない状況です。それはちょっとまずいんじゃないかというのが私たちの活動で、自分たちで稼ぐ団体をつくらないと継続できないという話になってきた。コミュニティビジネスやソーシャルビジネスが普及していくわけです。阪神淡路大震災がきっかけとなり、2011年の東日本大震災がありました。住民活動で必要としたのは資金です。活動資金をどう稼ぐかということです。大震災以降は、お金より人だということになって、支援者の必要性もある。地域おこし協力隊など、いろんなものが、各省庁から出てくるわけです。
今は人口減少が進む地域の存続をかけ、自治のあり方が問われています。コミュニティ機能が低下し様々な問題が出ています。全国で問題になってるのは空き家ですね。働き口とか、商店、スーパーの閉鎖とか、虫害、そういうものも多いです。駒ケ根市の人口構成を調べてきました。1990年と2045年は全くさかさまにしたような感じです。各地もほぼ一緒です。これまでの20年とこれからの20年は全く違うものと思っていただいていいんです。街づくりの流れを言いましたけど、あんな感じで推移しません。もっと極端に落ち込んでいくので、今までできていたことができなくなります。当たり前のような地域コミュニティ活動ができなくなります。
村上市の一番山奥で、20年前からお付き合いしている集落なんですけど、170戸で人口700人くらい。すごいのは山林が一万ヘクタール近くあり、林業で生計を立てて来た集落です。この人たちが20年前、相談に来られてフロンティアクラブをつくり、やる気満々だが、どうしたらいいか分からないという話でした。私が7回くらいのワークショップをやって計画を作りました。廃校を拠点にしたいという話があり食堂にしました。やることさえ決まったら、がんがんやる人達だったんです。山の上にあった牧場の跡地を開放し、ひまわり畑や観光農園というのを作っています。5つくらいの話が出て、新潟県ではトップランナーです。3年前から青年団が何かやりたいというので、自分たちで組織をつくれと、ノウハウを全部与えて一般社団法人をつくったんです。空き家を雪降ろししたり、お風呂を掃除したりして、ここを拠点に街づくりを始めました。初めは子どもの夏休み中に勉強を見てあげたりしていました。普段は地域の茶の間として活動します。冬、雪がすごく降る日でも、おばあさんは外に出る機会になる。健康的にも重要です。居酒屋もやることになりました。一番に言い出したのは、子育て中のお母さんたちです。この集落は市街地までクルマで30~40分かかる。そこで飲んでタクシーで帰ると6千~7千円はかかるわけです。地域で飲める場所をという話になったわけです。当日は気合を入れて若い連中が蝶ネクタイをし、シェフもいましたので立派なメニューができました。昼は中庭に椅子を出してガーデンテラス。夜は大にぎわいです。ちょっと味をしめたんです。

参加者と話す代表の伊藤祐三・前共同通信論説委員 (11月26日 アルパ)

去年の秋、公民館をジャズバーに変身させようということになりました。本気になってやると、ばかばかしさも拍手ものだと思ってみてました。ちゃんとアプローチをつくり神棚などは隠して、バーらしく変身させた。お酒も買ってきたビールじゃなくて、地元食材を使ったお酒にということで、山ぶどうや栃の実を使ってオリジナルのカクテルを作ったわけです。これは商品開発につながります。
クリスマスではカードを作って、サンタクロースに扮した若者が配りました。子どもはもちろん喜んでくれるんだけども、一番喜んでくれるのは一人暮らしのお年寄りです。涙を流してくれた人もいました。渡すプレゼントは、彼らの中にプロ級にうまいカメラマンが撮った写真を使ったカレンダーです。集落の行事も書かれています。せっかく配るなら集落の点検も一緒にやらないかと話をしました。誰がどんな状況で暮らしているかをチェックするようにしました。でも、最初から見守り作業をやりませんかと言ったら、絶対にやらない。サンタクロースをやろうと言ったら、やりますよ。これがポイントかな。

街づくりに必要な人材についてまとめました。圧倒的に足りないのが街づくりプレヤーです。現場で働く人、中心になって働く人をつくっていかなくてはならない。それだけでは成り立たなくて、街づくりコーディネーターです。事業計画を作成しコーディネートする人がいなければならないんです。今まで街づくりコンサルタントがやっていたんです。しかし、風のようにいなくなる人ではなく地域の人がやっていかなくてはならない。街づくりプロデューサーも必要。ゼロから構想し資金調達を含めて事業化する人がいないと成り立たないと実感しています。今は資金調達だって難しくない、民間だけでもやろうと思えばできる仕組みがいっぱいあります。プロデューサーは誰がやっていたかというと、ほとんど国から予算を引っ張ってきて、事業化していたのが行政だったんです。だから、言い方は悪いんですが、行政のいいなりで事業が進んでいく。これはもう、市民レベルでやっていかないと。地域を動かすのは個人でなくてチームだということ。
最後です。今さらですが、ブータン。国王がおっしゃっていましたが、この国は国土は日本の20分の1しかないんですが、国民の95%が幸せだと感じている国です。先進国は何が基準かというと経済力です。ただ、経済力が高いと幸せを感じているかどうかというと、そんなことはない。日本人だって95%が幸せだとは思っていない。国王によると、幸せになる条件は3つ。一つは欲望を抑制すること、なかなかできませんが。もう一つは、先の話のように自給の精神だと思います。もう一つは自立するための誇りを持ってください。ということを国会で話していました。我々もそういうふうに変えていかなくてはいけないのかと思っています。

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